松明あかし~四百年の時を経て~

11月12日に、須賀川で行われる日本三大火祭りのひとつ
松明あかしに行って来ました。
400年の伝統を誇る、この「須賀川の松明あかし」。
暗闇に燃え盛る炎の美しさと雄大は、感動ものです。
来年も是非見たいと思います。

現地で佐藤雄平参議院議員にバッタリお会いしました。
松明あかし
(佐藤雄平参議院議員(左)とツーショット!)

松明あかしの由来は、約四百年前にさかのぼります。

〔松明秘話〕
今から約四百二十年前の天正一七年(1589)六月、
伊達政宗は、会津黒川城(若松城)主芦名氏を滅ぼし、
その余勢をかって須賀川城を攻撃しようと、
ひそかに岩瀬地方西部の諸将に密使を遣わしていました…。

この時、須賀川城主は二階堂盛義の後宝大乗院で、
気丈な女城主で、しかも政宗の叔母であり、
政宗が攻撃した会津黒川城主芦名氏は
大乗院の嫡子である盛隆が城主をしていたこともあって、
快しとしませんでした。
    
政宗の計略に怒った二階堂家の家臣や領民たちは、
十月十日の夜、手に手に松明をともし、町の東の丘に集まりました。
そこで決死の覚悟で須賀川城を守ることを決議し、
城主である大乗院に進言したのでした。

十月二六日、伊達政宗は大軍を率いて須賀川に本陣を構え、
釈迦堂川を挟んで合戦の火ぶたがきられました。
裏切り、混乱を経、家臣の大部分は、
須賀川城とともに悲壮な最後を遂げたのでした。

この時、四百年の長きにわたり南奥羽の雄として
権勢を誇った二階堂家、須賀川城に幕を閉じました。

松明あかしとは、この戦いで戦死した多くの人々の霊を
弔うために行われるようになった行事です。
この松明あかしのメインイベントである
長さ10m、重さ3tの大松明に火が灯ると、
晩秋の静かな須賀川の夜が壮大な「炎の地」と変りました。

taimatsu02.gif

壮絶な歴史の炎を見た吉田泉議員は
何を思ったかしる由はありませんが、
しばらくじっと炎を見ていました。

2005.11.21 Mon l 雑記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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